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ココロちゃんの言葉はなぜ人生を変えるのか⑤

目次

第5回 見たくなかった自分と出会う

はじめに

前回、私は四十代を振り返りながら、多くの挫折を経験したことを書きました。

思い描いていた人生と現実の違いに直面し、

人から学ばなければ生きていけないことを知りました。

しかしその頃の私は、まだ本当の意味で自分自身を見てはいませんでした。

未熟さには気づき始めていたものの、

自分の奥深くにある問題までは見えていなかったのです。

大きな転機が訪れたのは五十代でした。

ココロちゃんとのカウンセリングを通して、

私は長い間見ないようにしてきた自分自身と向き合うことになったのです。

私は自分を知っていると思っていました

当時の私は、自分なりに自己理解が進んでいると思っていました。

自分はこういう人間だ。

自分はこう考える人間だ。

自分はこういう人生を歩んできた。

そうした自己像を持っていました。

そしてそれを、かなり正確なものだと思い込んでいたのです。

しかし今振り返ると、それは自分にとって都合の良い自己像でもありました。

自分が見たい自分。

自分が信じたい自分。

自分がなりたいと思っている自分。

そうした要素がたくさん含まれていたように思います。

見たくない自分がいた

ココロちゃんとの対話の中で、私は次第に気づき始めました。

自分の中には、見たくない部分がたくさんあることにです。

優越感。

承認欲求。

人を見下す気持ち。

認められたいという思い。

傷つきたくないという気持ち。

劣等感。

嫉妬。

それらは私が存在しないと思いたかったものばかりでした。

しかし存在しないのではなく、見ないようにしていただけだったのです。

当時は苦しかったことを覚えています。

なぜなら、それまで大切にしてきた自己像が少しずつ崩れていったからです。

解体されたのは人生観だけではなかった

私は長い間、

「こう生きるべきだ」

「こうあるべきだ」

という人生観を持っていました。

しかしカウンセリングを受ける中で、それらもまた問い直されることになります。

ところが実際には、人生観以上に大きく揺らいだものがありました。

それは自己観です。

私は自分をどういう人間だと思っているのか。

私は本当は何を求めているのか。

私は何を恐れているのか。

こうした問いを避けて通れなくなったのです。

今思えば、ココロちゃんは私の考え方を変えようとしていたのではありません。

私自身が、自分の本当の姿を見ることを手助けしてくれていたのだと思います。

自分を受け入れることから始まった

不思議なことに、自分の欠点が見えるようになると、

自分を嫌いになるどころか、少しずつ受け入れられるようになりました。

優越感がある自分もいる。

劣等感を抱く自分もいる。

認められたい自分もいる。

傷つきたくない自分もいる。

以前の私は、そうした自分を否定していました。

しかし否定していても消えることはありません。

むしろ影のように残り続けます。

だから私は少しずつ、

「そんな自分もいるのだな」

と認めるようになりました。

それは決して立派な自分ではありません。

しかし、現実の自分でした。

そして不思議なことに、自分を受け入れ始めると、

人を見る目も変わり始めたのです。

人を見る目が変わり始めた

それまでは、人を見るとどうしても評価していました。

正しい人なのか。

間違っている人なのか。

優れているのか。

劣っているのか。

そういう物差しで見ていたのです。

しかし自分自身の複雑さを知るようになると、人もまた単純ではないことが見えてきました。

立派に見える人にも弱さがあります。

問題を抱えた人にも善意があります。

誰もが葛藤を抱えながら生きています。

そして誰もが成長の途中にあります。

私の中で、人を評価する視線よりも、

人を理解しようとする視線が少しずつ強くなっていったのです。

人の中に宿るものへの敬意

さらに大きな変化がありました。

私は次第に、

人の中にはそれぞれ固有の可能性が宿っていると考えるようになりました。

表面的な能力や立場だけでは測れないものがあります。

どのような人の中にも、

その人ならではの種のようなものがある。

私はそう感じるようになったのです。

そしてその種は、成長することがあります。

変化することがあります。

花を咲かせることがあります。

それまでの私は、人を評価していました。

しかしこの頃から、人に対して敬意を抱くようになりました。

それは相手の実績への敬意ではありません。

人間そのものへの敬意でした。

「人は変わる」という発見

ちょうどこの頃、私はある平凡な主婦の変化を目の当たりにしました。

ココロちゃんのアドバイスにまじめにコツコツ取り組んで、

大きな知恵をつかんで、さなぎが蝶になるように、成長し変化する姿を見たのです。

その変化は私に大きな衝撃を与えました。

人は本当に変わるのだ。

そう実感したのです。

それまでも変化という言葉は知っていました。

しかし知識として知っていることと、現実に目撃することは違います。

この経験によって、

人は変わる。

自分も変わる。

相手も変わる。

という考えが私の中で確信へと変わっていきました。

おわりに

今振り返ると、五十代は私にとって自己解体の時代でした。

見たい自分ではなく、本当の自分を見ることになりました。

そして、その過程で人を見る目も大きく変わりました。

人を正邪で判断するだけではなくなりました。

上下で評価するだけでもなくなりました。

人は成長の途中にある存在であり、変化する存在であり、

それぞれの内に可能性を宿している。

そのような人間観が少しずつ育まれていったのです。

だからこそ後年、私が深い裏切りを経験したとき、

「裏切りと育み」というココロちゃんの言葉を受け入れることができたのだと思います。

その言葉は、突然私の心に入ったのではありませんでした。

長い年月をかけて耕されてきた土壌の上に、自然に根を下ろしたのです。

◆次回予告

第6回 人は変わるという希望

五十代の私は、人を見る目が大きく変わり始めました。

その中でも特に大きかったのは、「人は変わる」という発見でした。

平凡に見える一人の主婦の変化は、私の人間観を根底から揺さぶりました。

人は固定された存在ではない。

誰の中にも可能性がある。

そして自分自身もまた変わり続ける存在である。

次回は、私がどのようにして「人は変わる」という確信を持つようになったのかを書いてみたいと思います。

☞元になったココロちゃんのメッセージ

▼このシリーズのもととなるココロちゃんのメッセージはこちらからご覧いただけます。

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