第2回 なぜ私はこの言葉を受け入れられたのか
はじめに
こんにちは、花町宰です。
前回、私はココロちゃんの「裏切りと育み」というメッセージによって、
深い裏切りを経験しながらも、
恨みに自分の心を支配されずに済んだことを書きました。
振り返ってみると、私はこのメッセージを無理に受け入れたわけではありません。
「許さなければならない」と自分に言い聞かせたわけでもありません。
不思議なことに、その言葉はすっと私の心の中に入ってきました。
しかし今になって考えてみると、若い頃の私なら、
このメッセージを受け入れることはできなかったと思います。
もし二十代の私が読んでいたら、
「裏切った相手になぜ育みの心を向けなければならないのか」
と思ったでしょう。
三十代の私も、おそらく納得しなかったと思います。
では、なぜ私は受け入れることができたのでしょうか。
振り返ってみると、その背景には
長い年月をかけて変化してきた自分自身の人間観があったように思います。
今回はまず、その出発点である二十代の頃の私について書いてみたいと思います。
二十代の私は「正義」で人を見ていた
二十代の頃の私は、強い正義感を持っていました。
世の中には正しいものと間違っているものがあり、
正しい側に立たなければならないと考えていました。
そのため、人を見るときも、
「この人は正しい人か」
「この人は間違っている人か」
という基準で見ていたように思います。
もちろん当時の私は、そのことを意識していたわけではありません。
しかし今振り返ると、人を見る際の中心的な物差しは「正義」だったのです。
正しい人は味方。
間違った人は敵。
単純化して言えば、そのような見方でした。
若さゆえの純粋さでもあり、また未熟さでもありました。
正しさは私自身にも向けられていた
しかし、この見方は他人に対してだけ向けられていたのではありません。
私は自分自身に対しても同じ尺度を向けていました。
自分は正しいのか。
自分は間違っていないか。
もっと正しくあらねばならない。
もっと立派でなければならない。
そんな思いを抱いていたように思います。
そのため、人を裁く目は、そのまま自分を裁く目にもなっていました。
正義を求める気持ちは尊いものです。
しかし正義だけで人間を見ると、人はどこか窮屈になります。
なぜなら、人間は単純に正しいか正しくないかだけでは説明できない存在だからです。
しかし当時の私は、まだそのことがわかっていませんでした。
裏切りは絶対に許せないものだった
もしこの頃の私が「裏切りと育み」という文章を読んでいたら、どう感じたでしょうか。
おそらく反発したと思います。
なぜなら、正義で人を見る私にとって、裏切りは明らかに悪だったからです。
裏切った人は間違っている。
傷つけられた側は正しい。
そう考えていたでしょう。
そのため、
「裏切った相手に育みの心を向けましょう」
という言葉は理解できなかったと思います。
むしろ、
「なぜそんなことをしなければならないのか」
と思ったはずです。
つまり当時の私は、まだ人を善悪で見ていました。
ココロちゃんが語るような、
「その人もまた成長の途中にある」
という見方には到達していなかったのです。
正義の物差しでは見えないものがある
もちろん今でも私は、正義が大切でないとは思いません。
世の中には守るべきものがありますし、
間違いを間違いと言う勇気も必要です。
しかし人生経験を重ねる中で、私は少しずつ気づくようになりました。
人間という存在は、正しいか間違っているかだけでは語れないということです。
正しい人の中にも弱さがあります。
間違う人の中にも善意があります。
そして誰もが人生の途中を歩いています。
しかし二十代の私は、まだそこまで見えていませんでした。
私に見えていたのは「正義」であり、
「人間」そのものではなかったのかもしれません。
おわりに
振り返ってみると、二十代の私は正義を求めながら生きていました。
それは大切な時期だったと思います。
しかし同時に、その見方だけでは人間を十分に理解することはできませんでした。
そして三十代になると、私の人間観は少し違う方向へと変化していきます。
正義よりも、
「上か下か」
「優れているか劣っているか」
という感覚が、いつの間にか私の心を支配するようになっていったのです。
それは新たな学びの始まりであると同時に、新たな苦しみの始まりでもありました。
◆次回予告
第3回 優越感と劣等感に揺れた三十代
二十代の私は、正義という物差しで人を見ていました。
しかし三十代になると、その物差しはいつの間にか「上下」という物差しへと変わっていきます。
人より優れているのか。
人より劣っているのか。
認められているのか。
認められていないのか。
そして私は、優越感と劣等感の間を大きく揺れ動くことになります。
次回は、そんな三十代の私を振り返りながら、
人を見る目と自分を見る目がどのように変化していったのかを書いてみたいと思います。
☞元になったココロちゃんのメッセージ
▼このシリーズの出発点となるココロちゃんのメッセージはこちらからご覧いただけます。
