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否定が肯定に変わるとき④

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老いてなお、自分を育て続ける人

こんにちは、花町宰です。

これまで私は、交通事故からの回復、腰痛との向き合い、

そして顔のシミを受け入れるまでの体験について書いてきました。

どれも私自身の出来事です。

しかし今回は少し違います。

私の親戚の一人についてお話ししたいと思います。

その人は92歳になります。

私はその姿を見るたびに、

「人は何歳になっても成長できるのではないか」

と考えさせられるのです。

苦しみがなくなったわけではない

92歳という年齢ですから、もちろん健康そのものではありません。

体調を崩し、救急車を呼んだことも何度かありました。

本人にとっては耐えがたい苦しさだったのでしょう。

しかし病院では、

「この程度のことで、毎回救急車を呼ばないでください」

と言われることもあったそうです。

高齢になると、大きな病気だけではなく、

さまざまな身体の不調とも付き合わなければなりません。

若い頃のようにはいかない現実があります。

それでも私がその人に会うたびに感じるのは、不調そのものではありません。

むしろ、

「どうしたら今の状態を維持できるだろう」

と考え続けている姿なのです。

今日もやってみよう

時間があれば歩く。

漢字を覚える。

計算をする。

スマホで一人麻雀をする。

頭を使う。

身体を動かす。

どれも特別なことではありません。

新聞に載るような成果でもありません。

誰かに褒められるためでもありません。

ただ自分自身のために続けているのです。

しかも一日だけではありません。

毎日のように続けています。

私はその姿を見ていて、あることに気づきました。

ココロちゃんの言う「小さな肯定」とは、こういう姿なのかもしれない、と。

今日も歩けた。

今日も考えられた。

今日も挑戦できた。

そんな小さな肯定を、一日一日積み重ねているのです。

私の老い観が変わり始めた

若い頃の私は、老いをどちらかと言えば暗いものとして見ていました。

体力は落ちる。

病気は増える。

できないことが増える。

老いるとは、少しずつ失っていくことだと思っていました。

もちろん今でも、その側面はあると思います。

しかし92歳の親戚の姿を見ていると、それだけでは説明できない何かがあります。

確かに身体は衰えます。

病気もあります。

苦しい日もあります。

それでもその人は、

「今日できることは何か」

を探し続けているのです。

私はそこに、人間の強さを見るのです。

発達は若者だけのものではない

昔の私は、「発達」という言葉は

子どもや若者のための言葉だと思っていました。

成長する。

能力が伸びる。

新しいことができるようになる。

そういう意味で考えていたのです。

しかし今は違います。

92歳の親戚を見ていると、

発達とはもっと広いものではないかと思えてきます。

変化した現実に適応する力。

失ったものばかりを見るのではなく、残されている可能性を見つける力。

そして、生きる意欲を失わない力。

それもまた人間の発達なのではないでしょうか。

老いてなお、自分を育て続ける

私はその親戚の姿を見ながら、いつも教えられています。

老いとは、ただ衰退していくことではない。

もちろん失うものはあります。

できなくなることもあります。

しかしそれだけではありません。

人は何歳になっても学ぶことができます。

工夫することができます。

そして自分を育て続けることができます。

92歳の親戚は、そのことを私に教えてくれています。

老いてなお、自分を育て続ける。

私はそこに、人間という存在の深さを見るのです。

次回予告

第5章では、この連載の中でも最も大切なテーマ、

「なぜ小さな肯定は人生を変えるのか」

について考えてみたいと思います。

交通事故。

腰痛。

顔のシミ。

そして92歳の親戚。

一見ばらばらに見えた出来事が、どのようにつながっていたのか。

いよいよ連載全体を貫くテーマに向き合います。

☞この連載のもとになったココロちゃんのメッセージは、こちらからご覧いただけます。

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