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否定が肯定に変わるとき③

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「これが私だ」と受け入れた日

こんにちは、花町宰です。

前回は、腰痛との向き合いを通して学んだ

「小さな努力の積み重ね」についてお話ししました。

交通事故からのリハビリも、腰痛改善のための運動も、

振り返れば「できない」が「できる」に変わっていく体験でした。

しかし人生には、少し違う形の肯定もあります。

今回は、私が長い間否定していたものを

受け入れられるようになった体験について書いてみたいと思います。

それは、顔のシミのことです。

鏡を見るたびに気になっていた

そのシミに気づいたのは40代半ばの頃でした。

当時の私は人生の苦境の真っただ中にいました。

毎日の生活に追われ、自分の身体や健康を気遣う余裕もほぼありませんでした。

気がつけば顔にはいくつものシミができていました。

その後も少しずつ増え、大きくなっていきました。

鏡を見るたびに目に入ります。

できることなら消えてほしい。

できれば隠したい。

そんな気持ちをずっと抱いていました。

今から思えば、私はシミそのものを嫌っていたわけではなかったのかもしれません。

シミの向こうに見ていたもの

なぜそれほど気になるのだろう。

そう考えていくと、一つの記憶に行き着きました。

子どもの頃、親戚のおじいさんの顔に大きなシミがありました。

その姿を見て、

「老人になるとこうなるのだ」

という印象を強く持ったのです。

つまり私が嫌っていたのは、シミではありませんでした。

シミを見るたびに、自分の老いを見ていたのです。

若さを失うことへの不安。

歳を取ることへの戸惑い。

知らず知らずのうちに私は、そんな感情をシミに重ねていたのでした。

変わったのは顔ではなく心だった

ところが最近になって、考え方が少し変わりました。

ある日、鏡を見ながらふと思ったのです。

「この顔で生きてきたのは私ではないか。受け入れよう」

と。

楽しかった日もありました。

苦しかった日もありました。

思い通りにならなかった時期もありました。

それでも私は、この顔で生きてきたのです。

シミがない人生を生きてきたわけではありません。

この顔で笑い、

この顔で悩み、

この顔でここまで歩いてきたのです。

そう考えたとき、ある思いが心に浮かびました。

「このシミもまた、私の人生の一部ではないだろうか」

と。

「これが私だ」という肯定

不思議なことに、その日から鏡の中の自分が少し違って見えるようになりました。

シミは消えていません。

顔も変わっていません。

変わったのは私の見方でした。

以前の私は、

「こんな顔は嫌だ」

と思っていました。

しかし今は、

「これが私だ」

と思えます。

決して諦めたのではありません。

投げやりになったわけでもありません。

むしろ逆です。

自分自身との争いをやめることができたのです。

小さな肯定には二つの形がある

ココロちゃんは、

「これができた」

という小さな肯定の大切さを教えてくれました。

私もその通りだと思います。

交通事故からの回復も、

腰痛との向き合いも、

その力によって支えられました。

しかし人生には、もう一つの小さな肯定があります。

それは、

「これが私だ」

という肯定です。

できるようになることも大切です。

けれど、自分を受け入れることもまた大切です。

若い頃の私は、

できない自分を責め、

老いていく自分を否定していました。

しかし今は少し違います。

この顔も私。

この歴史も私。

この人生も私。

そう思えるようになりました。

あのシミが教えてくれたこと

振り返れば、シミは何も変わっていません。

変わったのは私の心です。

そしてその変化は、

交通事故からの回復や腰痛改善とは少し違う種類の成長だったように思います。

何かができるようになることだけが成長ではない。

今の自分を受け入れられるようになることもまた、人間の成長なのだと。

私はシミを通して、そのことを学びました。

否定が肯定に変わるとき。

それは何かを手に入れたときだけではありません。

ありのままの自分を受け入れられたときにも訪れるのです。

次回予告

第4章では、92歳になる親戚の生き方を通して、

「老いてなお、自分を育て続ける人」

について考えてみたいと思います。

体は衰えても、心は成長し続ける。

そんな希望を与えてくれる話です。

☞ココロちゃんのオリジナル・メッセージはこちらからご覧いただけます。

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