恐怖を抱える他者をどう支えるか──待つということ
1.恐怖に向き合うとき、そばに灯りを置く存在
恐怖に向き合うとき、そばに灯りを置いてくれる誰かの存在は、
それだけで大きな支えになります。
その灯りは、恐怖を消してくれるものではありません。
ただ、暗がりの中で自分が完全にひとりではないと知らせてくれる、 静かな光です。
人によっては、十分な時間、安全な環境、専門的な援助、
そして自分で距離を選べることが必要になります。
恐怖に向き合うとは、心の深層に触れる行為であり、
そのためには「自分で選べる」という感覚が欠かせません。
2.恐怖を抱える人の内側で起きていること
恐怖を抱える人は、自分の輪郭が揺らぎ、
自分が自分でなくなるような感覚に襲われています。
心理学では、これは「自己の境界の揺らぎ」と呼ばれ、
強い恐怖が心の中心軸を一時的に曖昧にしてしまう状態です。
そのため、言葉が出なくなったり、
自分の感情が自分のものではないように感じられたりします。
この状態にある人に必要なのは、
急かさないことです。
心は押されると閉じます。
押されると、恐怖はさらに強まり、
自分の輪郭はより曖昧になってしまいます。
3.「待つ」とは何もしないことではない
待つとは、ただ黙っていることではありません。
相手の震えを否定せず、
その人が自分の言葉と歩幅を取り戻せるように、
距離を押しつけず、必要なときに応じられる場所にいることです。
心理学的に見れば、これは「安全な他者(safe other)」として存在することです。
安全な他者とは、安全基地と表現されることも多いのですが、
相手の心が揺れているときに、
その揺れを止めようとせず、
ただ揺れが収まるまでそばにいる存在です。
待つという行為は、相手の心の中心が整うまで、
灯火を守るようにそっと寄り添う、
能動的で成熟した態度なのです。
相手の丹田を信じて待つ。
相手への揺りぎのない信頼の気持ちが、カギになります。
4.見放されない経験が、恐怖を越える力になる
私にとってココロちゃんの受容は、
恐怖を消してくれるものではありませんでした。
語ったことによって見放されるのではないかという恐れを抱えたままでも、
関係が失われず、私は私のままでいてよいと知る経験でした。
この「見放されない経験」は、
心理学では「関係の安全性(relational safety)」や「安全な避難所(safe haven)」と呼ばれ、
人が恐怖の奥にある感情に触れられるようになるための もっとも重要な土台です。
発達心理学では、安全な関係があるときに自己境界が安定し、
揺らぎが成長につながるといわれますが、これは私の経験したことでした。
その経験があったからこそ、私は恐怖の先へ進むことができました。
恐怖を抱えたままでも、自分の中心へ向かう道を歩き続けられたのです。
5.次回予告
恐怖を抱える他者を支えるとき、私たちは「待つ」という成熟した態度を学びます。
その学びは、やがて恐怖そのものをより広い視野で捉える力へとつながっていきます。
次回は、恐怖が人生のどこに現れ、どのように心の輪郭を揺らし、ときに道しるべとなり、ときに警告となるのか── 恐怖が人生の旅路に寄り添う影としてどのような意味を持つのかについて考えていきます。
☞このシリーズのもととなったココロちゃんの原文はこちらからご覧いただけます。
