恐怖とは何か
1.恐怖が心と身体に現れるとき
そもそも、恐怖とは何でしょうか。
私たちは恐怖を感じるとき、心だけでなく身体や行動にも変化が起きます。
まずは、その身近な反応から考えてみたいと思います。
恐怖は、単なる気持ちの動きとして片づけられるものではありません。
危険を感じると、心と身体は自分を守るために反応します。
胸が締めつけられる、
呼吸が浅くなる、
考えがまとまらなくなる、
その場から離れたくなる、
言葉が出なくなるといった変化です。
心理学では、このように心と身体、行動に現れる変化を防御反応と呼びます。
2.心の輪郭が揺らぐとき
未知の出来事に触れようとするとき、
これまで頼りにしてきた考え方や安心感が通じなくなり、
どう振る舞えばよいのか分からなくなることがあります。
自分を支えていたものが不確かになると、
心の輪郭が揺らぐように感じられます。
すると心は、その変化を危険の兆しとして受け取り、
「これ以上進むのは危うい」と警鐘を鳴らします。
3.自己開示が脅かすもの
恐怖の対象はさまざまですが、
ここからは自己開示の場面に目を向けます。
自分のことを、ありのままに、そっと話す場面です。
自己開示では、身の安全そのものよりも、
「本当の自分を知られたら、相手との関係が変わってしまうのではないか」
「自分の価値まで否定されるのではないか」
という不安が強く表れます。
つまり、自己開示の恐怖が守ろうとしているのは、
相手とのつながりと、自分についての確かな感覚です。
4.羞恥と自己否定が広がるとき
自己開示に伴う恐怖は、羞恥と深く結びつくことがあります。
知られたくない自分を他者に知られると、
相手からどう見られるのか分からなくなり、
それまで保っていた自分のイメージや、
相手との関係が崩れるように感じることがあります。
そのとき、自分についての確かな感覚が弱まり、
「自分が自分でなくなる」ような、
心の輪郭が曖昧になる感覚に襲われます。
自分はこうだ、という自分の感覚が少し揺れ、自己像が揺らぐ感じです。
これは、「これが私だ」という自己像がいったんほどけて、
新しい自己像に作り替える前の静かな揺れです。
自己開示の恐怖には、
「こんな自分には価値がないのではないか」
「本当の自分を知られたら、相手との関係が壊れるのではないか」
という不安が重なることがあります。
自分の一部を見せるだけなのに、
自分の存在そのものまで否定されるように感じてしまう。
その不安が、心の奥に否定の感覚として静かに沈んでいきます。
5.恐怖の奥にある思いへ
恐怖に揺さぶられると、
普段は気づかずにいた不安や、
避けてきた記憶、
自分でも認めにくい思いが見えてくることがあります。
それらを無理に掘り起こすのではなく、
自分を圧倒しない範囲で、
恐怖の奥に何があるのかを少しずつ確かめていく。
そのように自分の内面へ静かに近づいていくことが、
心の深層へ降りていくということなのだと思います。
恐怖は、その入口になることがあります。
このように恐怖には、
身体に現れる反応、
自分についての感覚が揺らぐ体験、
そしてその奥に隠れていた思いに触れる働きがあります。
自己開示の恐怖を考えることは、
この三つの心身の反応がどのようにつながっているのかを見つめることでもあります。
6.次回の予告
今回は、恐怖が心や身体、行動にどのように現れるのか、
そして自己開示の場面では何が脅かされるのかを考えました。
恐怖が自分を守るための反応であるなら、
私たちはなぜ、向き合いたいと思っていても動けなくなるのでしょうか。
言葉にしたくても言葉が出ないとき、心の中では何が起きているのでしょうか。
次回は、「なぜ人は恐怖に向き合えないのか」を取り上げます。
逃げること、立ち止まること、沈黙することを弱さと決めつけず、
その奥で働いている心の守りについて、読者の皆さまと考えていきたいと思います。
☞ココロちゃんの原文はこちらからご覧いただけます。
