寂しさの原点
1.はじめに・・・寂しさについて考える
こんにちは、花町宰です。
今日は「寂しさ」について考えてみたいと思います。
なぜ寂しさなのか──
それは、崖っぷちブログの対話シリーズ『感情を問いつづける』で、
ココロちゃんから投げかけられた問いに、私自身がまだ十分に答えられていないからです。
「寂しいと感じる自分は、どうして寂しいと感じるの?」
この問いは、私の心の奥に静かに残り続けています。
その答えを探すために、私は自分の過去を振り返り、
寂しさという感情の本質を見つめ直してみることにしました。
ここから、私がたどってきた寂しさの道のりを、
5回にわたってお話ししていきます。
2.思春期に芽生えた“理解されたい”という渇望
小学生のころの私は、わんぱくで、友達に囲まれ、
寂しさとは無縁の世界に生きていました。
中学に入ると、体が急に成長し、スポーツが上達し、
未来が開けていくような気持ちになりました。
テニス部で活躍し、体がパワフルになり、世界が広がっていく──
そんな感覚を味わっていた矢先でした。
中学一年の夏、突然「ネフローゼ」と診断され、
ひと夏を病院で過ごすことになりました。
退院後も運動は禁止。
テニス部をやめ、美術部で一人絵を描く日々が始まりました。
体育の時間は見学、体は動かせず、友達とも距離ができる。
その静かな孤独の中で、私は初めて「寂しさ」という感情をはっきりと意識しました。
読書に救いを求めるようになり、
宗教、哲学、科学──
同級生が興味を持たない世界へと、私は深く沈んでいきました。
しかしその結果、話の合う友達はいなくなりました。
好きな女性ができても、私が語るのは宇宙の温度や宗教の話ばかり。
文通をしても、相手は「しかたなく聞いてくれているだけ」だと気づいた瞬間、
胸の奥に深い痛みが走りました。
理解しあえる人がいない──
その事実が、私を深い孤独へと押し込めました。
思春期の私は、ただ異性を求めていたのではありません。
もっと深いところで、心が触れ合うような出会いを求めていました。
その渇望こそが、私の寂しさの正体だったのです。
🌞次回予告
思春期の寂しさは、大人になるとどうなっていったのか。
隔絶感として深まっていった寂しさと孤独を、次回は探求していきます。
🤗ココロちゃんとの対話へのご案内
私が寂しさを探求する出発点となったのは、ココロちゃんとの対話です。
その内容は、下記の「感情を問いつづける」をクリックするとご覧いただけます。
