強い反発や嫌悪感は何を示しているのか
私が職場で働いていたとき、
ある部署のチーフに対して、強い反発や嫌悪感を感じることがありました。
歩いているときにすぐそばを通り越していったり、
肉体的な距離を急に詰めてくるような接し方をたびたびされたからです。
これは、非常に礼節を欠いた態度に感じられ、強い不快感が生じました。
注意の仕方にも違和感がありました。
言葉そのものは選んでいるようでも、言外にいら立ちをぶつけられているように感じたからです。
──その場では、「ただ嫌だ」という感情が私を支配しました。
しかし今になって振り返ると、
注意された理由には納得できる点があり、
自分にも非があったことに気づきました。
そこは素直に受け止めることができます。
それでも、肉体的に距離を詰めてくる接し方だけは、
どうしても生理的な反発が残りました。
そして、こうして文章にしていく中で、 ひょっとすると私は、
自分が年を取って以前のように早く歩けないことへのやるせなさ
を心のどこかに抱えていたのではないか──
そんな気づきが生まれました。
礼節の問題だけではなく、
自分の中にある「心理的な負い目」のようなものが刺激され、
いら立ちにつながっていたのかもしれない。
この体験は、 強い感情が生まれるとき、
そこには必ず「理由」があることを教えてくれています。
■ 価値観の衝突としての反発
あのとき私が覚えた反発には、
明確な「価値観の衝突」があったと思います。
・距離を詰められる不快感
・礼節を欠いた態度への違和感
これらの感情は、単なる「嫌な気持ち」ではなく、
自分が大切にしている秩序や距離感が踏み越えられたことへの反応
だったのだと思います。
反発は、価値観が揺さぶられたときに生まれるサインです。
そのサインを丁寧に見つめることで、
自分が何を大切にしているのかが浮かび上がってきます。
■ 自分の奥にある側面への嫌悪
嫌悪感が生まれた理由は、 相手の態度だけではありませんでした。
後になって「自分にも非があった」と気づいたときに、
一緒に働いていた人への思いやりが欠けていたことを反省しました。
それに気づく必要があったからこそ、私は強いショックと反発を感じ、
嫌悪感として残り続け、後々まで気になったのかもしれません。
そのショックは、
自分の中にある身勝手さと未熟さを見たくない気持ち
が照らされたからだと思います。
嫌悪は、他者への反応であると同時に、
自分の奥にある何かを映し出す鏡 でもあります。
■ 強い感情は“光”である
反発や嫌悪は、決して封印してよいものではありません。
むしろ、
自分の奥にある価値観や弱さや願いを照らし出す光
です。
光が強いほど、 照らされているものも大切なのだと思います。
だからこそ、強い感情が生まれたとき、
それを否定するのではなく、
「これは何を示しているのだろう」
と静かに見つめることが大切なのだと思います。
■ 次号予告
次回は、 この“感情が照らすもの”をどう見つめていくか、具体的な方法 について書いていきます。
■ ココロちゃん原文への案内
今回のテーマの元になったココロちゃんの原文はこちらです。
