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すれ違いの裏にあった「言葉の真意」と「配慮の構造」
こんにちは、花町宰です。
前回の「義母との関西旅行」でのすれ違いを、「1つのことから3つを学べ」という
ココロちゃんの言葉をもとに、3つの視点から捉え直してみたいと思います。
1. 【相手(義母)の視点】思い出を語る言葉の真意
義母は京都の思い出をよく語っていました。
私はその言葉を「行きたい」という願望として受け取りました。
しかし今にして思えば、それは必ずしも「今、体力を使って観光したい」という意味ではなかったのです。
高齢者が過去の思い出を語るとき、その言葉の奥には
「楽しかった記憶を味わいたい」「家族と心を通わせたい」
という静かな願いが潜んでいることがあります。
義母の言葉を、私はあまりにも“行動のリクエスト”として受け取りすぎていたのかもしれません。
2. 【自分と第三者(妹)の視点】離れているからこそ必要な情報共有
妹は義母を歓迎したい一心で、お城を提案してくれました。
しかし、義母の体力や歩行の限界を、私がもっと具体的に共有できていれば、
妹は持ち前の経験を活かして、より負担の少ない案内をしてくれたはずです。
離れて暮らす家族とは、気持ちだけではなく「細かな前提情報の共有」が不可欠なのだと痛感しました。
3.自分自身のあり方を振り返る
誰かに悪意があったわけではありません。 ただ、善意の方向性に“ズレ”が生じていたのです。
そして私自身も、「義母のため」と言いながら、
無意識のうちに自分が立ち寄りたかった神社仏閣を予定に組み込んでいたことに気づかされました。
その気づきは、少し胸が痛むものでした。
しかし、痛みを伴う気づきこそが、私たちを成長させてくれるのかもしれません。
(次回へ続く)
