ツタの思考から抜け出すきっかけになった二つの出来事
こんにちは、花町宰(おさむ)です。
前回、私は20代のころ、外側の出来事に感情を支配され、
怒りに流され、自分の中心を完全に見失っていたことをお話ししました。
今回は、その私が ツタの思考から抜け出すきっかけになった二つの出来事 を、
心の奥の動きまで含めて、少し深くお話ししたいと思います。
① 愚痴仲間の友人の一言──心の奥に静かに落ちた「石」
当時の私は、職場の反主流派の仲間と毎日のように愚痴を言い合っていました。
愚痴を言うと、一瞬だけ心が軽くなる。
しかしその軽さはすぐに重さへと戻り、
その重さを紛らわせるために、さらに愚痴を言う──
そんな悪循環の中にいました。
愚痴は、怒りを正当化するための“燃料”でした。
怒りを抱えている限り、自分の弱さや不安を見なくて済むからです。
そんなある日、仲間の一人が静かに言いました。
「もう愚痴を言い合うのはやめませんか。
こんなことを続けても、自分のためにならない。」
その言葉は、私の心に石のように落ちました。
音もなく、ただ深く沈んでいくような感覚でした。
その瞬間、私は気づきました。
愚痴を言うことで自分を守っているつもりだったけれど、
実際には、自分の弱さを見ないための“逃げ場”にしていたのだと。
愚痴をやめると決めたことは、
私にとって
竹の思考の最初の芽
でした。
「外側ではなく、自分の内側に目を向ける」
という、ほんの小さな一歩。
しかしその一歩がなければ、 私はずっとツタの思考のまま、
横へ横へと伸び続けていたと思います。
② 取材で出会った人々──心が変わると人生が変わる瞬間を見た
もうひとつの転機は、団体の仕事で多くの人を取材した経験です。
その人たちは、心を整え、真剣に祈り、努力を続ける中で、
人生が大きく変わっていく姿を見せてくれました。
私はその変化を、ただの「話」としてではなく、
目の前で起きている“現実”として見ました。
ある人は、長年抱えていた問題が祈りと努力の中で解決し、
ある人は、絶望の淵から立ち直り、
ある人は、心の世界を深く理解することで人生が開けていきました。
その人たちの話を聞いていると、 胸の奥が静かに震えるような感覚がありました。
「心が変わると、人生が変わる」
「内側が整うと、外側が動き始める」
「見えない導きが働くことがある」
その言葉が、ただの理屈ではなく、“真実”として私の中に入ってきたのです。
その頃から、私は毎日祈るようになりました。
昼休み、誰もいない場所で静かに祈る。
自分を変えたい、自分の道を開きたいという切実な思いで、
ただ祈り続けました。
祈りは、私の心を静かに整え、
怒りの奥にある本当の感情──
不安、喪失感、劣等感、やるせなさ──
を少しずつ見つめられるようにしてくれました。
心が整っていくにつれ、
私は次の道へと導かれていきました。
😊ツタの思考から竹の思考へ──心の向きが変わった瞬間
ココロちゃんが言うように、
ツタの思考とは、外側に答えを求め、感情に流され、
自分の中心を見失う思考です。
私の20代はまさにその状態でした。
しかし、
- 愚痴をやめるという小さな決断
- 心の世界に触れ、祈り続けた日々
この二つが、私の心の向きを変えてくれました。
竹の思考とは、
外側ではなく内側に問い直し、
感情に流されず、
まっすぐ上へ伸びていく思考です。
私はその方向へ、静かに歩き始めたのです。
◆次回予告/
次回は、 「怒りの奥にある本当の感情をどう見つめるか」 について、さらに深くお話しします。
ココロちゃんの原文はこちらから読めます: 👉 ツタの思考と竹の思考
