1.生命に感謝する
「他の生命への感謝」をもっとも強く実感するのは、
赤ん坊の命に触れた瞬間ではないだろうか。
小さな温もりに触れたとき、
胸の奥から自然と 「生まれてきてくれて、ありがとう」
という思いが湧き上がる。
年齢に関係なく、愛する人が目の前に生きていてくれるだけで、
「生きていてくれて、ありがとう」 という気持ちが素直にこぼれる。
私が三歳のとき、生後一年に満たない弟が亡くなった。
小さなお棺に、私は自分の宝物だった積み木の一片をそっと入れた。
幼いながらも、大切な生命に、大切なものを手向けたいと思ったのだ。
小学校四年生のころ、私は布団の中でよく泣いていた。
短い命で逝った弟を思いながら、
「君の分まで、私がきっと生きるからね」
と誓い、涙を流していた。
弟との別れは、私の心の畑に
「生とは何か」「死とは何か」 という問いの種をまいた。
その種はやがて芽を出し、
仏壇で読まれるお経の意味を知りたがる少年へ、
聖書に関心を寄せる中学生へと私を育てていった。
私は、肉体をもって生きている時だけが生命ではないと思っている。
死者はこの世に生きる私たちを見守り、
ときに何かを知らせに来てくれる。
私たちは永遠の生命をもって転生輪廻しながら成長し続けるエネルギーなのだ。
そう考えると、自分の生命への感謝は、より深い意味を帯びてくる。
ココロちゃんによれば、
自分の生命を生かし切り、自分の個性を発揮することこそ、
与えられた生命への最高の感謝の表現である。
それは日本の神道にも流れる思想だという。
2.吉田松陰先生の火種
そう思い至ったとき、私は吉田松陰先生の人生を思い出した。
幕末を駆け抜けた松陰先生は、
「生命を生かし切るとはどういうことか」
を自らの生き方で示し、若くして刑場に散った。
松下村塾に集った若者たちは、
まるで松陰先生の生命の火種に点火されたかのように、
それぞれの生命を燃やし、輝かせた。
ある者は若くして刀に倒れ、ある者は生き延びて新しい日本の礎となった。
いずれもが、自らの生命を余すところなく生かし切ろうとした人生だった。
その生き方は、まさに個性の輝きそのものだったと思う。
そう考えると、
「他の生命に感謝できていない時は、自分の生命に感謝していないよ」
という言葉は、私にとって大切な原点を思い出させてくれる。
3.おのずと生まれる感謝
話を戻そう。
余命一年の宣告を受けた妻のそばに寄り添いたいと、
仕事を辞めてまで看病されたご主人のお話を伺ったとき、
私はこの方と出会えたことに深い喜びを感じた。
こんなにも深く妻を愛する人がいるのだと知り、
私もその姿勢を見習いたいと、心から思った。
ご主人の誠実さと深い真摯な愛情を、私が胸に感じたからだと思う。
また、葬儀に流れていた温かな空気に触れ、
その爽やかな温もりは、亡くなった彼女の愛そのものだと感じた。
彼女がどれほどご主人を愛し、多くの人を愛してこられたのか。
その個性の輝きの一端に触れた気がして、私は心から感動した。
他者の個性に触れたときの感動は、
おのずと「自分の個性も大切に輝かせたい」という思いを育ててくれる。
他者の尊さに触れたとき、
それに響き合う自分の生命もまた、尊いと感じるのではないだろうか。
(「自分を尊ぶ」完)
(花町宰)
