夢はどこから始まるのか──高校一年の空を見上げた瞬間
高校一年の春のことでした。 授業が終わり、校門へ続く石畳を歩いていた私は、ふと空を見上げました。
そこに広がっていたのは、ただの空──何もないように見える空間。
電柱から伸びた電線がその空をかすめ、その間には透明な空間が広がっていました。
吸い込まれるように立ち止まり、私はその空を見つめました。
何もない空間。 そこを流れる目に見えない時間。 その奥にはいったい何があるのだろうか。
空間とは何なのか。 時間とは何なのか。それを知りたい。
その瞬間、胸の奥からゆらめき立つような渇望が燃え上がりました。
ほんのつかの間の出来事でした。 ただ高校生が空を見上げただけの光景です。
しかし、この一瞬は今なお私の中に鮮明に残り、 その時覚えた渇望は、今でも生々しく息づいています。
🤓理系の才能と、心の奥の願いがそっと寄り添う
高校一年の私は数学が得意で、自然と理系に進もうと思っていました。
だからこそ、空間の神秘、時間の神秘、 その奥にある目に見えない世界に心が強く惹かれたのだと思います。
人は、自分の得意な方向に、心の奥の願いがそっと寄り添うことがあります。
あの日の私は、ただ空を見上げただけの高校生でしたが、
その瞬間、空の向こうに広がる“何か”の気配に触れたような気がしていました。
🗝️思春期の葛藤が、心の根源への扉を開いた
高校時代の私は、思春期の葛藤も抱えていました。
その葛藤の中で、古寺巡礼をつづった評論家・亀井勝一郎の文章に惹かれ、
ドストエフスキーやロマン・ロランが描いた人物像に心を奪われていきました。
家庭環境も宗教的な感受性の土壌となりました。
仏教を信仰する両親のもとで毎月お経をあげる時間があり、 中学生になった私はその意味が気になり始め、
やがて関心が広がり聖書を読みだすようにもなりました。
古寺の静けさや聖書の言葉の奥にある気配が、 私の心の深い場所に触れていたのだと思います。
思春期の心は、自分の根源に触れようとする静かな衝動を秘めています。
理系の探求心と宗教的な願望は、別々の方向ではなく、 静かに同じ一点へ向かっていたのだと思います。
💛 心を見つめるための「問い」
読者の皆様が自分の心を見つめられるように、最後に自分をみつめる「問い」を置きます。
そっと振り返って、ご自分に問いかけてみませんか。
- あなたが10代のころ、心の奥で静かに芽生えた願いは何でしたか。
- その願いは、今のあなたの人生のどこに息づいていますか。
- その願いは、形を変えながらあなたを導いてきたのではないでしょうか。
◆ 次回予告
第2回 理系と文系──二つの願いが一つの方向へ向かい始める
高校時代に芽生えた二つの願いが、 大学時代にどのように揺れ動き、 どのように「根源への探求」へ収束していったのかを描きます。
◆ ココロちゃんの原文への案内
今回のテーマの原点となったココロちゃんの一言はこちらです。(2025.1.10 ひとこと)
「夢は、その人が発したものが、その人に返ってくるものです。
その人自身の思いそのものが夢なのです。」
