人生を深く味わうために
こんにちは、花町宰です。
この連載を書きながら、私は何度も自分の人生を振り返りました。
交通事故による大けが。
腰痛との長い付き合い。
顔のシミへの葛藤。
そして92歳の親戚の生き方。
最初はそれぞれ別々の出来事だと思っていました。
しかし今は、それらが一本の糸でつながっていたことが分かります。
その糸こそ、ココロちゃんの言う
「小さな肯定」
だったのです。
否定が肯定に変わる瞬間
ココロちゃんは、
「小さな肯定を重ねていけば、自身の意識の
『できない』が『できる』に変わる瞬間が必ず来る」
と言います。
私はこの言葉を考え続けるうちに、ある光景を思い浮かべるようになりました。
青い色のついた水が入ったビーカーがあります。
そこへ透明な液体を一滴ずつ落としていく。
一滴。
また一滴。
さらに一滴。
見た目には何も変わりません。
しかし落とし続けると、ある瞬間、突然色が消えます。
その瞬間だけを見ると、最後の一滴が変えたように見えます。
けれど本当は違います。
その一滴に至るまでの、すべての積み重ねがあったからこそ変化が起きたのです。
人生も同じではないでしょうか。
できないと思っていたことが、できるかもしれないに変わる。
嫌だと思っていた自分を、これでいいと思えるようになる。
その変化は突然起きたように見えて、実は長い時間をかけて育っていたのです。
小さな肯定には二つの形がある
この連載を書きながら、私は小さな肯定には二つの形があることに気づきました。
一つ目は、
「できた」という肯定
です。
歩けた。
運動を続けられた。
昨日より前へ進めた。
こうした肯定は、
「自分にもできる」
という感覚を育てます。
心理学では、これを自己効力感と呼びます。
人は小さな成功体験を重ねることで、
自分の可能性を信じられるようになるのです。
交通事故や腰痛の体験は、まさにその例でした。
もう一つの肯定
しかし人生には、もう一つの肯定があります。
それは、
「これが私だ」という肯定
です。
顔のシミを受け入れたとき、私が経験したのはこちらでした。
これは何かができるようになることではありません。
むしろ、
ありのままの自分を受け入れることです。
心理学では自己受容と呼ばれる考え方に近いでしょう。
若い頃は、自分を変える力が私たちを支えてくれます。
しかし年齢を重ねるにつれ、
変えられないものとも向き合うことになります。
そのとき必要になるのは、
「もっとできる」
という肯定だけではありません。
「これが私だ」
という肯定なのです。
そして、さらに言うならば、
現実を受け入れること。
失ったものより残されたものを見ること。
そして人生を肯定すること。
それもまた、大切な人間の成長であり発達なのです。
私がたどり着いた答え
この連載を書きながら、私自身の考えも少しずつ変わりました。
最初は、
「小さな肯定によって人は変われる」
という話だと思っていました。
しかし今はもう少し違う見方をしています。
小さな肯定の本当の意味は、
能力を伸ばすことだけではありません。
人生を肯定できるようになることではないかと思うのです。
できたことを喜ぶ。
できないことを受け入れる。
失ったものを嘆くだけでなく、残っているものに感謝する。
そうした一つひとつの積み重ねが、
人生を見る目を変えていくのです。
読者の皆さまへ
もし今、
できないことばかりに目が向いているなら、
一度だけ立ち止まってみてください。
今日できたことはなかったでしょうか。
今日うれしかったことはなかったでしょうか。
今日感謝できることはなかったでしょうか。
それは本当に小さなことで構いません。
大切なのは、その一滴です。
その一滴がやがて積み重なり、
ある日、
否定が肯定へ変わる瞬間を迎えるかもしれません。
この連載を終えるにあたって
私は今、こう考えています。
人生の価値は、どれだけ高く登ったかだけではありません。
どれだけ深く味わったかにあります。
谷の苦しみも。
山頂の喜びも。
その両方を味わいながら生きること。
そして、その道のりを支えてくれるのが小さな肯定なのです。
老いとは衰退ではありません。
成熟です。
人生とは勝ち続けることではありません。
与えられた人生を少しずつ受け入れ、味わい、肯定していく旅なのだと思います。
だから私は今日も、自分に問いかけたいのです。
「今日の小さな肯定は何だろう」
と。
その問いは、これからも私の人生を育て続けてくれるような気がしています。
☞このシリーズのもととなったココロちゃんのメッセージはこちらです
(花町宰・完)
