小さな肯定は、なぜ人生を変えるのか
こんにちは、花町宰です。
これまで私は、交通事故からの回復、腰痛との向き合い、顔のシミの受容、
そして92歳の親戚の生き方について書いてきました。
一見すると、それぞれ別々の出来事です。
しかし連載を書きながら振り返ってみると、そのすべてに共通するものがありました。
それは、ココロちゃんの言う
「小さな肯定」
です。
人生には否定が訪れる
私たちは人生の中で、さまざまな否定に出会います。
できない。
失敗した。
歳を取った。
病気になった。
失った。
思い通りにならない。
私もそうでした。
交通事故で大けがをしたときは、
「もう歩けないかもしれない」
と思いました。
腰痛に悩まされたときは、
「もう歳だから仕方がない」
と思いました。
顔のシミを見たときは、
「こんな顔は嫌だ」
と思いました。
否定は突然現れます。
そして気がつくと、心の中心を占めるようになります。
すると私たちは、できないことばかりを見るようになるのです。
否定を消そうとすると苦しくなる
若い頃の私は、否定をなくそうとしていました。
不安を消したい。
失敗を消したい。
老いを消したい。
苦しみを消したい。
しかし人生を振り返ってみると、それはできない相談でした。
老いはなくなりません。
病気もあります。
思い通りにならないこともあります。
人生から否定を完全に取り除くことはできないのです。
では、どうすればよいのでしょうか。
私はココロちゃんの言葉を思い出します。
「小さな肯定を重ねていけば、自身の意識の
『できない』が『できる』に変わる瞬間が必ず来る」
私自身は、この言葉の意味を人生の中で少しずつ学んできたように思います。
小さな肯定は人生の見え方を変える
歩けた。
今日も運動できた。
この顔も私だと思えた。
今日も歩けた。
今日も考えられた。
今日も挑戦できた。
一つひとつは本当に小さなことです。
しかし、その小さな肯定を積み重ねていくと、不思議な変化が起きます。
現実が変わる前に、
まず自分の見方が変わり始めるのです。
以前の私は、
「できないこと」
ばかり見ていました。
しかし少しずつ、
「できること」
にも目が向くようになりました。
すると人生そのものが違って見えてくるのです。
小さな肯定は人それぞれのもの
ここで私が大切だと思うことがあります。
それは、小さな肯定の形は人によって違うということです。
ある人にとっては、
一歩歩けたことかもしれません。
ある人にとっては、
仕事へ行けたことかもしれません。
ある人にとっては、
誰かに「ありがとう」と言えたことかもしれません。
ココロちゃんの言葉も、その人なりの人生の中で意味を持ちます。
私の場合は、その言葉を老いの探究という視点から受け取りました。
事故や腰痛、シミや高齢の親戚との出会いを通して考え続けた結果、
「小さな肯定とは人生そのものを肯定する練習なのではないか」
と思うようになったのです。
人は老いても発達できる
私は以前、発達とは若い人のための言葉だと思っていました。
新しい能力を身につけること。
新しい知識を学ぶこと。
それが発達だと思っていたのです。
しかし今は違います。
老年期には老年期の発達があります。
現実を受け入れる力。
感謝する力。
失ったものばかりではなく、今あるものを見る力。
そして自分の人生を肯定する力。
それもまた、人間の発達なのだと思います。
92歳の親戚の姿は、そのことを私に教えてくれました。
人生を変えるのは大きな決意ではない
私は今、人生を変えるのは大きな決意ではないように思っています。
劇的な成功でもありません。
今日できたことを認めること。
今日感謝できたことを見つけること。
今日の喜びを味わうこと。
その積み重ねです。
小さな肯定は人生を一気に変える魔法ではありません。
しかし、その小さな肯定を重ねていくうちに、
私たちは少しずつ人生の見方を変えていきます。
そして気がつくと、
人生そのものを肯定できるところへ近づいているのです。
次回予告
最終章では、この連載を書きながら私がたどり着いた一つの考えについてお話ししたいと思います。
「老いとは衰退ではなく、成熟への道である」
という考えです。
交通事故も、腰痛も、シミも、老いも。
それらは失うことだけを意味していたのではありません。
人生をより深く味わうための学びでもあったのです。
☞このシリーズの元となったココロちゃんのメッセージはこちらです。
