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世界に耳を澄ませる〜聞こえない私の探究〜②

第二章 私は何を聞こうとしていたのか

1 私には聞こえない

第一章を書き終えて、私は改めて考えていた。

山を歩き続けてきた人は、いったい何を感じているのだろう。

私には分からない。

山へ行けば気持ちはよい。

沢の音も聞こえる。

鳥の声も聞こえる。

風が木々を揺らす音も聞こえる。

しかし、それは誰にでも聞こえる音である。

私に分からないのは、その先である。

山を長年歩いてきた人が、

「今日は山が喜んでいる」

と言う。

あるいは、

「水が元気だ」

と言う。

その言葉を聞くたびに私は戸惑う。

なぜなら私には、そこまでのことは感じられないからである。

だから私は長い間、

「特別な能力を持った人たちなのだろう」

と思っていた。

けれども、今は少し違う見方もできるようになった。

2 自然観察の力

考えてみれば、山を歩き慣れた人は私が見ていないものをたくさん見ている。

雲の動き。

風向きの変化。

土の湿り具合。

落葉の状態。

沢の水量。

木々の色。

私はそれらをほとんど意識せずに歩いている。

しかし長年山に関わってきた人は違う。

わずかな変化から天候を予測し、

山の状態を読み取る。

つまり何か特別な力というより、驚くほど深い観察を続けているのである。

もしかすると最初の「水の声」とは、

そのような自然観察の積み重ねから生まれる感覚なのかもしれない。

私たちには区別できない変化が、その人には鮮やかに見える。

その結果として、

「今日は水が違う」

という言葉になるのかもしれない。

そう考えると、私は少し安心した。

少なくとも、その世界の入口は理解できるからである。

3 それだけでは説明できない

しかし一方で、それだけでも説明がつかない。

ココロちゃんが語る内容は、単なる自然観察だけではないからである。

大地が水を意識する。

木が水を喜ぶ。

水晶にも心がある。

こうした言葉は、観察だけで説明することが難しい。

だから私は再び立ち止まる。

ここで無理に否定してしまうこともできる。

しかし、私はそうしたくなかった。

なぜならココロちゃんが語る姿は、とても自然だったからである。

信じ込ませようとしているようにも見えない。

特別な能力を誇っているようにも見えない。

むしろ、そのように見えることが当たり前であるかのように語っている。

私はそこに興味を持った。

もし私と世界の見方が違うのだとしたら、その違いはどこから生まれているのだろう。

4 聞こうとする私

実は私は長い間、「声を聴く」という言葉を誤解していた。

ココロちゃんはよく、

「水の声を聴いてみてください」

と言う。

ところが私は、その言葉を人間の会話のように受け取っていた。

つまり、

「水の声」とは意味のある言葉として聞こえてくるものだと思っていたのである。

たとえば、

「気持ちがいい」

とか、

「ありがとう」

とか、

そうした人間の言葉のような形で受け取るものだと思っていた。

だから私は一生懸命に意味を探した。

何を語っているのか。

何を伝えたいのか。

何と言っているのか。

しかし何も聞こえなかった。

当然である。

私は最初から、人間の言葉を探し求めていたのだから。

5 感じることが対話だった

ところがココロちゃんの考えは違っていた。

意味を探さなくてよい。

ただ感じればよい。

そう言うのである。

最初はよく分からなかった。

感じるだけで対話になるとは思えなかったからである。

しかし次第に、その意味が少しずつ分かるようになってきた。

山へ入り、風を感じる。

沢の音を聞く。

湿った土の匂いを感じる。

木々の気配を受け取る。

そこには言葉はない。

しかし確かに何かを受け取っている。

それは説明になる前の体験であり、意味になる前の感覚である。

ココロちゃんは、その状態そのものを「聴く」と呼んでいたのかもしれない。

そして、その感覚を受け取ること自体が、すでに対話なのだと言っていたのである。

6 世界に耳を澄ませる

今の私にも、水の声は聞こえない。

少なくとも、人間の言葉としては聞こえない。

しかし以前とは違う。

聞こえないから存在しないとは思わなくなった。

私が聞こうとしていたものと、

ココロちゃんが聞いていたものは違っていたのだと分かってきたからである。

私は意味を探していた。

ココロちゃんは感じていた。

私は理解しようとしていた。

ココロちゃんは受け取っていた。

どちらが正しいという話ではない。

けれども私は、この違いを知ったことで、

新しい入口を見つけた気がしている。

山の水の声が聞こえるようになったわけではない。

それでも今は、山へ入るたびに少しだけ立ち止まる。

木を眺める。

風を感じる。

沢の音に耳を澄ませる。

そして思うのである。

世界は私が理解しているよりも、もっと豊かなのかもしれないと。

◆次回予告

第三章 三つの読み方

山の水の声は、本当に存在するのだろうか。

自然観察として理解することもできる。

アニミズムとして理解することもできる。

あるいは対象と深く一体化したときに生まれる感覚として理解することもできる。

次回はココロちゃんの言葉を三つの視点から読み解きながら、

「世界に耳を澄ませる」という体験の意味をさらに探究してみたい。

☞元となった対話を読む

ココロちゃんと研究者との対話には、今回紹介した部分以外にも興味深いやり取りが数多く含まれています。

▶ 対話原文はこちら

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