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ココロちゃんの言葉はなぜ人生を変えるのか⑥

目次

第6回 人は変わるという希望

はじめに

こんにちは、花町宰です。

前回、私は五十代に経験した自己解体について書きました。

ココロちゃんとのカウンセリングを通して、

自分が見たかった自分ではなく、本当の自分を見ることになりました。

その経験によって、人を見る目も大きく変わり始めました。

しかし今振り返ると、その変化の中でも特に大きかったものがあります。

それは、

「人は変わる存在である」

という確信でした。

それまでの私は、変化という言葉を知っていました。

努力すれば成長できることも理解していました。

しかし、それは頭で知っていたに過ぎませんでした。

本当の意味で人間の変化を信じるようになったのは、

ある人の姿を目の当たりにしてからだったのです。

私は人を固定的に見ていた

今振り返ると、若い頃の私は人を固定的に見ていました。

もちろん表面上は、

「人は成長する」

と言っていました。

しかし心のどこかでは、

「あの人はこういう人だ」

「あの人はここまでだろう」

という見方をしていたように思います。

それは他人に対してだけではありませんでした。

私自身に対しても同じでした。

自分はこういう人間だ。

ここまでが限界だ。

そう無意識に決めていた部分がありました。

しかし人生は、そんな私の見方を少しずつ崩していきました。

一人の主婦の変化

私にとって大きかったのは、一人の主婦の変化を見続けたことでした。

その人は、特別な立場の人ではありません。

有名人でもありません。

社会的成功者でもありません。

ごく普通の主婦でした。

しかし長い年月の中で、その人が少しずつ変わっていく姿を私は見ました。

最初から大きな変化があったわけではありません。

ほんの小さな変化です。

考え方が変わる。

表情が変わる。

行動が変わる。

人との接し方が変わる。

その積み重ねが、やがて別人と思えるほどの成長につながっていったのです。

私はその姿を見て衝撃を受けました。

人間の可能性への驚き

そのとき私が感じたのは、

「すごい人だ」

ということではありませんでした。

むしろ、

「人間という存在は、ここまで変わるのか」

という驚きでした。

それまで私は、能力や実績によって人を見ていた部分がありました。

しかし目の前で起きていたことは、それとは違う種類の成長でした。

その人の内面が成長しているのです。

人格が変化しているのです。

そしてそれは、学校の成績でも、社会的地位でも測ることのできない変化でした。

私はそこで初めて、人間の持つ可能性の大きさに心を打たれました。

人は完成品ではない

この経験によって、私の人間観は大きく変わりました。

それまで私は、

人を評価し、

人を分類し、

人を理解したつもりになっていました。

しかし実際には違いました。

人は完成品ではありません。

今の姿だけがその人ではありません。

今日の姿と十年後の姿は違うかもしれません。

今苦しんでいる人が、やがて大きく成長することもあります。

今自信に満ちている人が、深い挫折を通して学ぶこともあります。

人は変わります。

そして人生が続く限り、その可能性は残されています。

私はそう考えるようになりました。

自分もまた変わる存在だった

そしてもう一つ大切な発見がありました。

それは、

変わるのは他人だけではない

ということです。

私自身も変わっていたのです。

二十代の私と五十代の私は、ものの見方がまるで違います。

正義だけで人を見ていた頃がありました。

上下で人を見ていた頃もありました。

人を評価し、人を裁いていた頃もありました。

しかし私は変わりました。

もし私が変われたのなら、他の人も変われるはずです。

そして他の人が変われるのなら、簡単に人を見限ってはならないのです。

敬意という新しい視線

この頃から、私は人を見る時の基本的な姿勢が変わっていきました。

以前は、

この人は正しいだろうか。

間違っているだろうか。

優れているだろうか。

劣っているだろうか。

という視線で見ていました。

しかし少しずつ、

「この人の中にはどのような可能性が眠っているのだろうか」

という視線へ変わっていきました。

すると自然に、人への敬意が生まれました。

成功しているから敬意を払うのではありません。

立派だから敬意を払うのでもありません。

一人ひとりの中に、まだ開花していない可能性が宿っている。

そのことに対する敬意です。

私はようやく、人を評価する視線から、

人を育む視線へと、

少しずつ移り始めていたのかもしれません。

「裏切りと育み」につながる土壌

今振り返ると、この人間観の変化がとても大きかったと思います。

なぜなら後に深い裏切りを経験した時、

私は相手を固定的に見ることができなかったからです。

もちろん傷つきました。

悲しみもありました。

怒りもありました。

しかしその一方で、

「あの人も人生の途中にいる」

という感覚があったのです。

それは私が立派だったからではありません。

人は変わる。

人には可能性がある。

人生は続いていく。

そういう人間観が、すでに私の中に育ち始めていたからでした。

だからこそ、「裏切りと育み」というココロちゃんのメッセージは、

私の心に深く入ってきたのだと思います。

おわりに

振り返ってみると、

私の人生は人を見る目が変わっていく旅でもありました。

正義で人を見ていた頃がありました。

上下で人を見ていた頃もありました。

しかし様々な経験を通して、

私は少しずつ別の見方を学んできました。

人は変わる。

人は成長する。

人は完成品ではない。

その見方を手に入れた時、人への敬意が生まれました。

そしてその敬意こそが、

「裏切りと育み」というメッセージを受け入れる土壌になっていたのだと思います。

◆次回予告

最終回 ココロちゃんの言葉はなぜ人生を変えるのか

シリーズの第1回では、「裏切りと育み」というメッセージそのものを読み解きました。

そして第2回から第6回までは、その言葉を受け入れるに至った私自身の変化を振り返ってきました。

正義。

上下。

挫折。

自己解体。

そして人間への敬意。

それらの歩みを振り返った今、改めて考えてみたいと思います。

なぜココロちゃんの言葉は人生を変える力を持つのでしょうか。

最終回では、このシリーズ全体を振り返りながら、その問いについて私なりの結論を書いてみたいと思います。

☞元になったココロちゃんのメッセージ

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